遺書(仮

まだメモ段階なので、

ぼちぼち直してきます。すいません。

 

2018.7.23

 

そうだ、遺書を書こう。

ちょっと前に高熱とうつの重症を同時にくらって、

ちょっと死にかけたので、

なんか残しとかないとなぁと漠然と思いました。

 

うつ病と睡眠障害については、

物心ついたころからなんで、なんとも思ってません。

あー、病気だったんだぁ。

なるほどそういうことかぁ。くらいなもんです。

うつ病はうつるんで、

引きづりこんでしまった元妻には申し訳なく思ってます。

 

ぼくは山の中の、近くにお寺のある場所で育ちました。

お寺さんでよく遊んでいたので、

4の時に、死と輪廻転生を考えるような子供でした。

ま面倒な子供だったでしょうw

 

中学の時はいじめられてたし。

まぁ本人その自覚はないんですけどね。

連むのが嫌いだったので、

不良グループに何かと嫌がらせされ続けてましたねぇ。

やり返してたけど、多勢に無勢きつかったな。

そっからですかね?ポーカーフェイスが身についてしまったのも。

中学まで喘息もちだったのもあって、痛みは平気でしたからねぇ。

 

子供の頃から、

○という苗字で、嫌な思いをしてました。

ちょっとイタズラしても、

年配の方からは、善三さんの孫が。

親世代の人には○さんの息子なのに

いつもいつも…何をしてもぼくだけ…

 

 

部活も嫌いだった、兄がいるので。

○の弟、○の弟。

ぼくという固有名詞はどこへ行ってもなかった。

だから中学浪人してでも兄と違う高校へ通った。

 

本音を言えば、特に理由なんてなかった。

ここから出たい。そして東京に逃げた。

 

まぁ20代はひどかったです。

たぶん皆さんの想像以上に悪かったと思います。

人を殴ったことは一度もありませんが、自分の子供は二人殺しました。

 

 

 

祖父は朗らかな人だった、いつも笑って座っていた。

小学生の時に亡くなったけど。

笑って座っているイメージしか浮かんでこない。

そんな祖父も戦後に何もかも失い。

納豆売りから苦労して、市長になったそうです。

のちに聞いた話で、

 

元は近衛兵をやっていて、その時の同僚の妹が祖母だったそうです。

父もただのサラリーマンです。真面目で仕事ばかりの人です。

まぁ、写真やスポーツなどもやってましたけど。

退職後も、今も細々と自分で仕事を続けてます。

そんな祖父と父が誇らしい反面、自分の存在がつらすぎるんです。

 

 

 

少し前、離婚のゴタゴタの時、

言ってはいけない事を父に言ってしまった。

子供を望まない理由。

自分が生まれてきてしまった苦しみを。

薬も飲んでるし、自分と同じ苦しみを作り出したくない。

 

父を尊敬するようになったキッカケが、祖母が亡くなった時。

兄弟が遺産相続の話をしてる時に父が怒り、母が亡くなったばかりなのに金の話をするな!おれは1円もいらない!と出て行った。

そんな父をみて、誇らしいと思いました。

その日日から尊敬する人は誰ですか?

と聞かれたら、父です!と答えるようになりました。

 

同情してほしいとかじゃないです。

ただの遺書ですから。 

 

かといって自分は死ぬ気はない。

悲しむ人が一人でもいるならば、生き続けますよ。

 

35で死ぬ予定だったんだけどなぁw。

 

年々背負う十字架が増えていくわけですよ、

仮面ライダーWで言うところの「お前の罪を数えろ」です。

 

特に後悔というものはないが、

唯一父に対しての承認欲求だけだろうな。

これだけは、誰に何を言われてもどうにもならない。

正直30まではずっと嫌いだった。

嫌いというか、話したことがほとんどなかった。とても厳しく優しい父です。

 

ことごとく父の望む道と逆を歩いた。

なんで生きてるのかな?贖罪なのかもしれません。

 

まぁ、20年近く支えてくれた元妻と、

こんなんだけど、つきあってくれた友人たち、

大切にしてくれた人達に何か残せればなぁと。